脊椎カリエス

 『病床六尺』の第1回目の書き出しにもあるように、子規はタタミ2畳程の広さで生活のすべてを過ごしている。ほぼ寝たきりの生活であったと想像されるが、このような身の上となる病状は子規が肺結核から脊椎カリエスへと病状が進行していたことによる。ここで、脊椎カリエスについて少し詳述してみたい。


 結核は飛沫感染によって肺へ結核菌が入る事によって発症するが、局所のリンパ節を経由して血中に菌が流入し全身の臓器に広がることがある。脊椎カリエスは結核性脊椎炎のことで、結核菌が脊椎(主に胸椎、腰椎)に到達し脊椎骨の破壊、周囲へ膿瘍形成を来す病態である。抗結核剤がなかった時代は結核の病変が進むに任せるのみで、椎体の破壊や脊髄神経の障害による麻痺や痛みなどの身体機能の低下は子規の日常生活をとてつもなく不自由なものにしてしまった状況を「病床六尺、これが我が世界である・・・」と生活の広さ、いや、人生の広さを言い切る文人子規の真骨頂と言える書き出しである。さらに椎体の破壊や脊髄神経の刺激による痛みは断末魔の叫びと言えるほどの苦痛であったようで、「甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、・・・」と文章は続くのである。さらに脊椎カリエスは流中膿瘍と言われる脊椎病変部の膿が筋肉や組織の間を伝って骨盤内や背部に膿瘍を作り,挙句には皮膚を突き破り膿が流れ出し毎日の傷の処置が必要となる更なる日常生活の制限へと繋がるのである。


 流中膿瘍による皮膚の瘻孔については日々の闘病を記録した「仰臥漫録」に記述があり掲載しておく。「明治35年3月10日 月曜日 晴 日記のなき日は病勢つのりし時なり・・・ 8時半大便、後腹少し痛む 同40分 麻痺剤を服す 10時 繃帯取換にかかる 横腹の大筋つりて痛し この日始めて腹部の穴を見て驚く 穴と畏怖は小き穴と思いしにがらんどなり 心持悪くなりて泣く」。子規の苦痛、煩悶、号泣が聞こえてくるような切ない文章である。動けない、痛い、煩悶という八方塞がりの状態にもかかわらず、「それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つこと、癪にさはる事、たまにはなんとなく嬉しくてために病苦を忘るるやうなことがないでもない。・・・」と記述する子規の人間力には恐れ入るとしか言いようがない。子規の叫びを少しずつ紐解いてみたいと思う。