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中橋 恒がお話しします。第一章 準備するということ(1)

更新日:2021年3月2日


~南海放送ラジオ「死に学び生を考える」に寄せられたリスナーからの質問をもとに緩和ケア医として終末期医療に携わっている松山べテル病院院長の中橋 恒が綴るエッセイ~


第1章 準備するということ


リスナーからの質問
残された時間を自分らしく生きるために、元気なうちから、何を準備しておくといいですか?

(1)準備することを忘れてしまった現代人


 人には寿命がありいつかは人生の終わりを迎えなければならない、この事は実に当たり前のことなのに多くの人はあまり意識しないで過ごしているように思います。いざ死が近くなった時に、どうしたら良いのかと慌てふためいてしまっているように感じています。なぜなのかと考えてみると、誰しも、死を考えること、死を意識することは嫌なのだろう、それが人間の素直な感情のように思えるし、死というものを本能的に避けようとするものなのではないかと思います。


 しかし、人間は生き物である以上必ず自分の命に終わりが来ることは避けて通れぬ“定め”です。


 私たちは、過去に戦争という大変不幸な出来事を経験しましたが、その後の日本は奇跡といってよい目覚ましい復興を遂げました。人口は7200万人(1947年)から12800万人(2010年)と1.7倍以上に増え、平均寿命も男性;50歳/女性;54歳(1947年)から男性;81歳/女性;87歳(2020年)と世界に冠たる長寿国となりました。国の繁栄は、豊かな物と寿命を意識しない健康な生活を作りだしてくれました。そんな中で私たちはいつしか“死”という問題を知らず知らずの内に避けてきたのかもしれません。


 しかし、長寿であることの裏返しとして高齢化と多死化という事が今の日本の社会的な

問題となっています。65歳以上の高齢者人口は1950年には人口の5%弱だったのが2020年

には28.7%(愛媛県32.4%)と3人に一人が高齢者という社会になっています。多死化の面では、2020年の出生数;86万5000人/死亡数;138万3000人と出生数より死亡数が多く、人口が減少に転じています。

このことから日本が抱える社会問題の象徴として『2025年問題』が挙げられています。この『2025年問題』とは団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、我が国が超高齢化社会になることを指した表現です。


 それなりに齢を重ねた者が残された時間を自分らしく過ごす秘訣、当たり前のことなの

ですが、それは“準備”をするということだと思います。生まれる時からそうしてきまし

た。出産に備えて準備する。人生の流れの中で、受験の準備、就職の準備、結婚の準備と

“備える”ということを当たり前のようにやってきました。格言にも“備えあれば憂いな

し”とあるように、先人たちは人生を上手くするための知恵を残してくれています。それ

なのに「死」への備えがどうも現代人には一番の苦手なことになってしまっているように

思えます。


ー(2)へ続く

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