<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第三回】

正岡子規の闘病記録!?「病床六尺」を読む


『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





正岡子規「病牀六床」(三)


 東京の牡丹(ぼたん)は多く上方から苗が来るので、寒牡丹(かんぼたん)だけは東京から上方の方へ輸出するのぢやさうな。このほかに義太夫といふやつも上方から東京へ来るのが普通になつて居る。さうして東京の方を本(もと)として居るのは、常磐津(ときわず)、清元(きよもと)の類ひである。牡丹は花の中でも最も派手で最も美しいものであるのと同じやうに、義太夫はこれらの音曲(おんぎょく)のうちで最も派手で最も重々しいものである。して見ると美術上の重々しい派手な方の趣味は上方の方に発達して、淡泊な方の趣味は東京に発達して居るのであらうか、俳句でいふて見ても昔から京都の方が美しい重々しい方に傾いて、江戸の方は一ひねくりひねくつたやうなのが多い。蕪村(ぶそん)の句には牡丹の趣がある。闌更(らんこう)の句は力は足らんけれどもやはり牡丹のやうな処がある。梅室(ばいしつ)なども俗調ではあるが、松葉牡丹位の趣味が存して居る。江戸の方は其角(きかく)嵐雪(らんせつ)の句でも白雄一派の句でも仮令(たとい)いくらかの美しい処はあるにしても、多少の渋味を加へて居る処はどうしても寒牡丹にでも比較せねばなるまい。

(五月七日)



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版