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<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第二十七回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





<本文>

○枕許に『光琳画式』と『鶯邨画譜』と二冊の彩色本があつて毎朝毎晩それをひろげて見ては無上の楽として居る。ただそれが美しいばかりでなくこの小冊子でさへも二人の長所が善く比較せられて居るのでその点も大に面白味を感ずる。殊に両方に同じ画題(梅、桜、百合、椿、萩、鶴など)が多いので比較するには最も便利に出来て居る。いふまでもないが光琳は光悦、宗達などの流儀を真似たのであるとはいへとにかく大成して光琳派といふ一種無類の画を書き始めたほどの人であるから総ての点に創意が多くして一々新機軸を出して居るところは殆ど比肩すべき人を見出せないほどであるから、とても抱一などと比すべきものではない、抱一の画の趣向なきに反して光琳の画には一々意匠惨憺たる者があるのは怪しむに足らない。そこで意匠の点は姑く措いて筆と色との上から見たところで、光琳は筆が強く抱一は筆が弱い、色においても光琳が強い色殊に黒い色を余計に用ゐはせぬかと思はれる。従つて草木などの感じの現はれ方も光琳はやはり強い処があつて抱一はただなよなよとして居る。この点においては勿論どちらが勝つて居ると一概にいふ事は出来ぬ。強い感じのものならば光琳の方が旨いであらう。弱い感じのものならば抱一の方が旨いであらう。それから形似の上においては草木の真を写して居る事は抱一の方が精密なやうである。要するに全体の上において画家としての値打は勿論抱一は光琳に及ばないが、草花画かきとしては抱一の方が光琳に勝つて居る点が多いであらう。抱一の草花は形似の上においても精密に研究が行届いてあるし輪郭の画き工合も光琳よりは柔かく画いてあるし、彩色もまた柔かく派手に彩色せられて居る。或人はまるで魂のない画だといふて抱一の悪口をいふかも知れぬが、草花の如きは元来なよなよと優しく美しいのがその本体であつて魂のないところがかへつて真を写して居るところではあるまいか、この二小冊子を比較して見ても同じ百合の花が光琳のは強い線で画いてあり抱一のは弱い線で画いてある。同じ萩の花でも光琳のは葉が硬いやうに見えて抱一のは葉が軟かく見える。つまり萩のやうな軟かい花は抱一の方が最も善く真の感じを現はして居る。『鶯邨画譜』の方に枝垂れ桜の画があつてその木の枝を僅かに二、三本画いたばかりで枝全体には悉く小さな薄赤い蕾が附いて居る。その優しさいぢらしさは何ともいへぬ趣があつてかうもしなやかに画けるものかと思ふほどである。『光琳画式』の桜はこれに比するとよほど武骨なものである。しかしながら『光琳画式』にある画で藍色の朝顔の花を七、八輪画きその下に黒と白の狗ころが五匹ばかり一所になつてからかひ戯れて居る意匠などといふものは別に奇想でも何でもないが、実にその趣味のつかまへ処はいふにいはれぬ旨味があつて抱一などは夢にもその味を知る事は出来ぬ。


正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版

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