<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第二回】

最終更新: 3月1日

正岡子規の闘病記録!?「病床六尺」を読む


『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。




正岡子規「病牀六床」(二)


 余は性来臆病なので鉄砲を持つことなどは大嫌ひであつた。尤(もっと)も高等中学に居る時分に演習に往つてモーゼル銃の空撃(からうち)をやつたことがあるが、そのほかには室内射的といふことさへ一度もやつたことがない、人が鉄砲を持つて居るのを見てさへ、何だか剣呑(けんのん)で不愉快な感じがする位であるから、楽しみに銃猟に出かけるなどといふことはいくらすすめられても思ひつかぬことであつた。


 昨年であつたか岩崎某がその友人である大学生の某を誤つて撃殺したといふことを聞いた時に、縁も由縁(ゆかり)もない人であるけれど余は不愉快で堪(たま)らなかつた。


しかるにこの事件は撃たれたる某の父の正しき請求によりて、岩崎一家は以来銃猟をせぬといふ家憲を作りて目出たく納まつたので、それは愉快に局を結んだが、随(したが)つて一般の銃猟といふことに対してはますます不安を感じて来た。


しかるに近来頭のわるくなると共に、理窟臭いものは一切読めぬことになつて、遂には新聞などに出て居る銃猟談をよむほど面白く心ゆくことはなかつた。


ある坊さんがいふには、銃猟ほど残酷なものはない、鳥が面白く歌ふて居るのを出しぬきに後から撃つといふのは丁度人間が発句を作つて楽しんで居るのを、後ろから撃殺すやうなものである、こんな残酷なことはないといふたことがある。


それは尤もな話で、鳥の方から考へる時には誠に残酷に違ひないが、しかし普通の俗人が銃猟をして居る時の心持は誠に無邪気で愛すべき所があるので、その銃猟談などを聞いても政治談や経済談を聞くのと違つて、愉快な感じを起す事になるのであらう。


 そのうへに銃猟は山野を場所として居るのでそれがために銃猟談に多少の趣を添へることが多い。殊(こと)に玄人になると雀や頬白を撃つて徒(いたずら)に猟の多いことを誇るやうなことはせぬやうになり、自(おのずか)らその間に道の存する所の見えるのも喜ぶべき一カ条である。しかるに惜しいことには無風流な人が多いので、その話をきくと殺風景な点が多いのは遺憾なことである、銃猟談は前いふやうに山野に徘徊するのであるから、鳥を撃つといふことよりも、それに附属したる件に面白味があるのにきまつて居るが、その趣を発揮する人が甚だ少ない。


近頃『猟友』といふ雑誌で飯島博士が独逸(ドイツ)で銃猟した事の話が出て居るが、これはよほどこまかく書いてあるので、ほかのよりは際立つて面白いことが多い。


例せば井上公使の猟区に出掛けた時の有様を説いて、おのおのが手製の日本料理をこしらへて、正宗の瓶を傾け、しかもそこに雇ひつけの猟師(独逸人)に日本語を教へてあるので、それから部屋の中でからに、飯を食ふ時などは、手をポンポンと叩く、ヘイと返辞をするのだと教へて置く、ところが猟師の野郎ヒイといふて奇妙な声を出して返辞をする、どうも捧腹絶倒(ほうふくぜっとう)実に面白い生活ですなどと書いてあるところは実に面白く出来て居る。


総てかういふ風に銃猟談はしてもらひたいものである。否もう少しこまかく叙したならば更に面白いに違ひない、銃猟もここに至つて残酷の感を脱してしまふことが出来る。

(五月六日)



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版