<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第五回】

正岡子規の闘病記録!?「病床六尺」を読む


『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。




明治卅五年五月八日雨記事。

 昨夜少しく睡眠を得て昨朝来の煩悶やや度を減ず、牛乳二杯を飲む。

 九時麻痺剤を服す。

 天岸医学士長州へ赴任のため暇乞(いとまごい)に来る。ついでに余の脈を見る。

 碧梧桐(へきごとう)、茂枝子(しげえこ)早朝より看護のために来る。

 鼠骨(そこつ)もまた来る。学士去る。

 きのふ朝倉屋より取り寄せ置きし画本を碧梧桐らと共に見る。月樵(げっしょう)の『不形画藪(ふけいがそう)』を得たるは嬉し。そのほか『鶯邨画譜(おうそんがふ)』『景文花鳥画譜』『公長略画』など選えり出し置く。

 午飯は粥(かゆ)に刺身など例の如し。

 繃帯(ほうたい)取替をなす。疼痛(とうつう)なし。

 ドンコ釣の話。ドンコ釣りはシノベ竹に短き糸をつけ蚯蚓(みみず)を餌にして、ドンコの鼻先につきつけること。ドンコもし食ひつきし時は勢よく竿(さお)を上ぐること。もし釣り落してもドンコに限りて再度釣れることなど。ドンコは川に住む小魚にて、東京にては何とかハゼといふ。

 郷里松山の南の郊外には池が多きといふ話。池の名は丸池、角池、庖刀池、トーハゼ(唐櫨)池、鏡池、弥八婆々の池、ホイト池、薬師の池、浦屋の池など。

 フランネルの切れの見本を見ての話。縞柄(しまがら)は大きくはつきりしたるがよいといふこと。フランネルの時代を過ぎて、セルの時代となりしことなど。

 茂枝子ちよと内に帰りしがややありて来り、手飼のカナリヤの昨日も卵産み今朝も卵産みしに今俄(にわか)に様子悪く巣の外に出て身動きもせず如何にすべきとて泣き惑ふ。そは糞(ふん)づまりなるべしといふもあれば尻に卵のつまりたるならんなどいふもあり。余は戯れに祈祷(きとう)の句をものす。


菜種(なたね)の実はこべらの実も食はずなりぬ

親鳥も頼め子安の観世音(かんぜおん)

竹の子も鳥の子も只(ただ)やす/\と

糞づまりならば卯の花下しませ


 晩飯は午飯とほぼ同様。

 体温三十六度五分。

 点燈後碧梧桐謡曲一番殺生石(せっしょうせき)を謡(うた)ひをはる。余が頭やや悪し。

 鼠骨帰る。

 主客五人打ちよりて家計上のうちあけ話しあり、泣く、怒る、なだめる。この時窓外雨やみて風になりたるとおぼし。

 十一時半また麻痺剤を服す。

 碧梧桐夫婦帰る。時に十二時を過る事十五分。

 余この頃精神激昂(げっこう)苦悶やまず。睡(ねむり)覚(さ)めたる時殊(こと)に甚だし。寐起を恐るるより従つて睡眠を恐れ従つて夜間の長きを恐る。碧梧桐らの帰る事遅きは余のために夜を短くしてくれるなり。

(五月十日)



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版