<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第十一回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





<本文>

 七番の右はむしろ景色画にして岡伝ひに小さき道があつて、その道は二つに分れ、一筋はその岡に沿ふて左に行くべく、一筋は橋を渡つて水に沿ふて左に行くべくなつてをる。点景の人物は一寸位な大きさのが三人あるばかりで、それは格別必要な部分を占めてをるのではない。ただかういふやうなちよつとした景色をこの中に挿んだのが意匠の変化するところで面白い。


 八番の右は立場たてばと見えて坊さんを乗せた駕が一梃地に据ゑてある。一人の雲助は何か餅の如きものを頬ばつて居る。一人の雲助は銭の一さしを口にくはへてその内の幾らかを両手にわけて勘定してをる。その傍に挟箱を下ろして煙草を吹かしてをる者もある。更に右の方には馬士が馬の背に荷物を附けるところで、その馬士の態度といひ、馬が荷物の重みを自分の身に受けこたへてをる心持といひ、其処の有様が実によく現はれてをる。その傍にはなほ一、二人の人があつて何となく混雑の様が見えてをる。南岳の画は人が大勢居つてもその人はただ群集してをるばかりであるが文鳳の画は人が大勢居ればその大勢の人が一人々々意味を持つて居る。此処らで見ても両人の優劣はほぼ顕はれて居る。


 九番の右は四人で一箇の道中駕をかついで行くところで、駕の中の人は馬鹿に大きく窮屈さうに画いてある。何でもないやうであるがそれだけの趣向を現はしたのが面白い。


 十番の右は旅人が一人横に寝て按摩を取らしてをる処である。旅人の枕元には小さな小荷物があり笠がある。その前には煙草盆があり煙草入れがある。頭巾を被かぶつたままで頬杖を突いて目をふさいで居るのは何となく按摩のために心持の善ささうな処が見える。按摩は客の後ろ側よりその脚を揉んで居る。ところでその右の眼だけは丸く開いて居る。しかも左の眼はつぶれて居つて口は左の方へ曲つてをる、この二人の後の方に行燈が三つかためて置いてある。これは勿論灯ひのついて居る行燈ではなからう、客の座敷に斯様の行燈が置いてあるといふ事はいかにも貧しい宿であるといふ事を示して居る。



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版