<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第十二回】
- kounosuke0
- 2月25日
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『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の
9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し
てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴
った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤
裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。
<本文>
十一番の右は正面に土手を一直線に画いてある。この一直線に画いてある処既に奇抜である。その土手の前面には小さな水車小屋があつて、作業がある。土手の上には笠を着きた旅人が一人小さく画かれてある。かういふ景色の処は実際にあるけれども、画に現はしたものはほかにない。
十二番の右は笠着た旅人が笠着た順礼に奉捨を与へる処で、順礼が柄杓を突出して居ると、旅人はその歩行をも止めず、手をうしろへまはして柄杓の中へ銭を入れて居る処は能く実際を現はして居る。殊にその場所を海岸にして、蘆などが少し生えて居り、遠方に船が一つ二つ見えて居る処なども、この平凡な趣向をいくらか賑にぎやかにして居る。
十三番の右は景色画でしかも文鳳特得の伎倆を現はして居る。場所は山路であつて、正面に坂道を現はし(坂の上には小さな人物が一人向ふへ越え行かうとして居る処が画いてある)坂の右側に数十丈もあらうといふ大樹が鬱然として立つて居る。筆数は余り多くないが、その大樹があるために何となくその景色が物凄ものすごくなつて、その樹は慥たしかに下の方の深い谷間に聳そびえて居るといふことがよくわかる。心持の可よい画である。
十四番の右は百姓家の入口に猿廻しが猿を廻して居る処で、その家の入口の縄暖簾をかかげて子供が二人ばかりのぞいて居る。一人の子供は六つ七つ、一人の子供は二つ三つ位の歳としで、大方兄弟であらうと推せられる。その入口の両側には蓆が敷いて麦か何かが干してある。家の横手にはちよつとした菊の垣がある。小菊が花を沢山つけて咲いて居る。この絵などは単に田舎の景色を能よく現はして居るといふばかりでなく、甚はなはだ感じのよい処を現はして居る。
十五番の右は乞食が二人ねころんで居る処でそこらには草が沢山生えて居る。
十六番の右は鳥居の柱と大きな杉の樹とがいづれも下の方一間ばかりだけ大きく画いてある。それは社の前であるといふことを示して居る。その社の前の片方に手品師が膝をついて手品をつかつて居る。襷たすきをかけ、広げた扇を地上に置き、右の手を眼の前にひらけて紙屑か何かの小さくしたのを散ちらかして居る。「春は三月落花の風情」とでもいふ処であらう。この手品師が片寄せて画いてあるために見物人は一人も画いて居ない。そこらの趣向は余り類のない趣向である。
十七番の右は並木の街道に旅人が二、三人居る処であるが、これは別に趣向といふ処もないやうで、ただ松の木の向ふ側に人を画いたのが趣向でもあらうか。
十八番の右は海を隔てて向ふに富士を望む処で別に趣向といふでもないが、ただこの一巻の最終の画であるだけに、この平凡な景色が何となく奥床おくゆかしく見える。
要するに文鳳の画は一々に趣向があつて、その趣向の感じがよく現はれて居る。筆は粗であるけれど、考へは密である。一見すれば無造作に画いたやうであつて、その実極めて用意周到である。文鳳の如きは珍しき絵かきである。しかも世間ではそれほどの価値を認めて居ないのは甚だ気の毒に思ふ。
正岡子規「病牀六尺」
初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)
底本:病牀六尺
出版社:岩波文庫、岩波書店
初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版
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