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<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第十五回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





<本文>

 『狂言記』といふ書物を人から借りて二つ三つ読んで見たが種々な点において面白い事が多い。狂言といふものは、どういふ工合に発達したか十分には知らぬが、とにかく能楽と共に舞台に上る処を見ると能楽がやや高尚で全く無学の者には解せられぬ処があるから、能楽の真面目なる趣味、古雅なる趣味に反対して、滑稽なる趣味、卑俗なる趣味をもつて俗人に解せしめるやうに作られたのである。しかし昔の申楽とか田楽とか言ふものの趣味は能楽よりもかへつて狂言の方に多く存して居るかも知れぬ、少くとも彼ら古楽の趣味が半ばは能楽となつて真面目なる部分を占領し、半ばは狂言となりて滑稽なる部分を占領したのであらう。そこでこの狂言といふものには時代の古いものがあるかも知れないが、先づ普通には足利の中頃より徳川の初めまでに出来たものかと思はれる。従つて狂言はその時代の風俗及び言葉を現はして居るものとして見るとなほ面白い事が多い。狂言の趣味はしばらく論ぜずにただ歴史的の観察上面白い事は、たとへばここに「スハジカミ」といふ狂言を取つて見ようならば、これは酢売と薑売との事であつて二人が互ひに自分の売物に勿体をつけるといふ趣向である。これを見るとその頃酢売とか薑売とかいふものがあつて、町を売歩行いて居つたといふ事がわかる。しかもその酢売は和泉の国と名乗り、薑売は山城の国と名乗つて居る処を見ると、これらの処が酢または薑の産地であつた事もわかる。それから酢は竹筒に入れてあつて、それを酢筒と名付け、薑は藁ヅトの中に入れてある。それからその言葉を見るに、酢の売言葉は「スコン」と言ひ、薑の売言葉は「ハジカミコン」といふなど何となく興味がある。この「コン」といふ言葉は意味のある言葉かどうか善く分らないが、あるいは「買はう」といふ言葉のつまつたのかとも思はれる。また「シヤウバイ」とも言ひ「アキナヒ」ともいふを見れば、この時代から既に両方の言葉が用ゐられて居つたのが分る。また酢売が薑売に対して「オヌシ」といひ、薑売が酢売に対して「ソチ」といふのを見ても当時の二人称には斯様な言葉を用ゐたのである。余の郷里(伊予)なぞにては余の幼き頃までなほ「オヌシ」または「ソチ」などいふ二人称が普通語に残つて居つた。また薑売の言葉に「コノワラヅトウナドニハ、イカウケイヅノアルモノヂヤ」といふて居る。而してその「ケイヅ」といふのは昔生薑売が禁中に召されて何々といふ歌を下されたといふ事なのである。シテ見るとこの「ケイヅ」といふ言葉は誇るべき由緒といふやうな事を意味する当時の俗言であつたと見える。また「スキハリシヤウジ」、「カラカミシヤウジ」などいふ言葉があるのを見ると、今いふ紙張の障子のことを「スキハリシヤウジ」と言ひ、今いふ「カラカミ」の事を「カラカミシヤウジ」といふたのである。そのほか、風俗言語の上に、なほいろいろと変つた事があるやうであるが、よくよく研究せねばわれわれには分らぬ事が多い。追々分つて来たらばいよいよ面白いに違ひない。


正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版

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