点滴について③(全3回)


3.終末期の輸液を考える



 ホメオスタシスの機能は生命の維持にとても重要な働きをしている事が理解していただけたと思いますが、がんという病気がホメオスタシスにどのように関わってるかについてお話を進めてゆきましょう。


 人は精子と卵子が合体して1個の受精卵となり、そこから分裂を繰り返し60兆個の細胞の集合体として一人の人間の形が作られこの世に存在することになります。60兆個の細胞はただ漫然と一つの塊になっている訳ではなく、さまざまな臓器に分化しそれぞれが機能して人間としての調和を保っています。髪の毛はほっておくと伸びてきて、床屋で切ってもらいさっぱりとした髪型で男前を挙げて気持ち良く生活ができています。髪の毛はあくまでも髪の毛として生きていて決して別の臓器に形を変えることはありません。それぞれの臓器や組織は互いに調和を保って、バランスが崩れないように恒常性を維持しながら生命活動を続けています。


 がんという病気は、もともと自分の体の中に存在している正常な細胞が調和を失って節度なく増殖してしまう性格をもってしまう「がん細胞」に変異して、無秩序な増殖を続け体自体が生命を維持することができなくなるような様々な障害を起こしてしまう病気です。がんは、ホメオスタシスという生命維持のための恒常性を維持するための機能を障害してしまう病気なのです。


 がんが恒常性の維持の障害になる原因として、いろいろな臓器にがんができた場合それぞれの臓器が持っている機能が障害されることによって生命の維持が困難となってしまいます。がんという病気の厄介なところは、各臓器の機能障害と同時に、がんから様々な物質が放出され体を自然と衰弱の方向へと向かわせてしまう性質があることです。食べても食べてもなかなか太れない、逆にどんどん痩せてくると嘆かれるがんの患者がいらっしゃいます。これは“悪液質”と言われる状態で、栄養管理をいろいろ工夫しても元気な状態へ戻すことがとても難しい病態です。


 手術後に食事ができない時期に点滴で栄養管理がしっかりできると、また元の元気な状態に戻すことができるお話をしましたが、ある時期点滴で栄養を補うことで手術という障害が通り過ぎると、体は恒常性の維持機能で元気なもとの体に戻ろうとする機能が働くので、元気な体を取り戻すことができます。当然、切った傷も跡は残りますがきちんとつながった状態へ戻ります。


 がんの進行に伴って衰弱が進んでくると、食事の量が少なくなって栄養状態が悪くなったとしても、点滴による栄養管理を行っても大変残念なことではありますが栄養状態を改善することはとても難しいと言わざるを得ません。


 少しでも元気になってもらおうと術後の食事が全くできない時にするような大量の点滴を行うとかえって体の負担となり、お腹に水が溜まったり全身のむくみになったり、胸に水がたまると呼吸困難の原因を作ってしまう結果となり、患者さんの苦痛を増やしてしまう危険性があります。お別れが近くなってくると、患者さんご本人は24時間の点滴や量の多い点滴はしんどいと訴えられることが多く、点滴を希望される場合できるだけ負担にならない量で行うようにしています。


 家族の皆さんは、食事も水分も摂れないのに点滴1本できないのかと身を引き裂かれる思いで終末期を見守っておられますが、ご本人の旅立ち間際の時期にできるだけ苦痛がない穏やかな時間を過ごしていただくために強制的な水分の補給はかえって患者さんご本人を苦しめてしまう結果を招く恐れがあることをご理解いただき、患者さんの苦痛の軽減、ご家族の皆さんの苦痛の軽減に配慮した点滴の在り方を一緒に考えるようにして、結果としてできるだけ差し控えることを提案しているのが、終末期における点滴の在り方です。

 

 旭川荘南愛媛病院院長の岡部健一先生が「愛の点滴100ミリリットル」という題で愛媛新聞の四季録に一文を載せてくださったものがあり、一部を皆さんと共有できればと思い掲載させていただきます。


『・・・・。がんの末期や認知症が進行して食べられなくなったときにどれぐらい点滴するのが適当かは難しい。必要な水分量を計算して入れると高齢者では代謝が衰えているので全身のむくみが起こり、苦しみが増すこともある。看取りを希望する時はむしろ脱水状態のほうが苦しみは少ないことが分かっている。

先日、市立宇和島病院でがんの在宅緩和ケアの症例研究会があった。終末期には点滴は医学的には無益だと言う意見がある中で、アドバイザー役の松山ベテル病院の中橋恒院長が思いやりの表現として、患者さんや家族に頼まれて「100ミリリットルのブドウ糖液でも点滴することがある」と発言された。最低でも1回500ミリリットルが常識なので、会場が少しどよめいた。医学的に効果がなくても、演出としてとても大切なことだと思いを新たにした。

出張が終わって最終便で「終末期の担当患者の手を握るために」病院に帰っていったある院長の話を最近本で読んだ。一方で「今となっては何もすることはありません」と言って、患者を切り捨てるような頭は切れる医師に過去出くわしたこともある。いつか自分も患者になる。酒にも弱くなりビール350ミリリットルで酔っぱらうことができるようになった。思いやりのある医療スタッフに囲まれて、最期には点滴でなく酒でもウイスキーでも飲ませてほしいとおもっている。』


 点滴は医学を変えた画期的な治療方法ではありますが、人生の締めくくりは栄養や脱水という医学的なくくりで患者を看るのではなく、ひとりの人間として穏やかな旅立ちのためにどのようなケアをしてゆけば良いのかという観点で点滴を位置づけることが大切であると考えています。