▲荘厳な石鎚山天狗岳
西日本最高峰の霊峰、石鎚山は古来、「一人前になる山」とされてきた。頂上に到達することが青年男子の通過儀礼だったのである。石鎚山への参拝は、お伊勢参りや金毘羅参り、宮島参りと同様、江戸時代初期には庶民化されたが、修験の要素がひときわ濃い。
西日本では江戸時代になるころ、村や漁村各地に石鎚信仰の集団「石鎚講」ができ、夏に石鎚山に参拝する大祭「お山開き」になると、先達に連れられて参拝する風習が成立し、石鎚信仰は生活の中に溶け込んでいた。輪廻転生する魂は石鎚山からやってきて、石鎚山に帰っていく・・・。そういった意識が根強くあったため、人々は子供が母親のお腹に宿ると「どうぞこの子が15歳になるまではお守りください」と願をかけ、15歳ごろになると願を解くため、本人を石鎚山に行かせた。
石鎚山へ行く青年たちには試練が課せられる。
出発1~2週間前。参拝する青年たちは家を離れ、小屋や大きな家の離れなどで共同生活をする。青年たちの指導は先達に託される。共同生活の食事は日を追うごとカロリーが減され、やがて絶たれる。空腹で旅立ち、海、川、野山を越えて石鎚山を目指すが、途中、断崖絶壁を覗いたり、無言であるくなどさまざまな修行が行われる。まさに命がけで願を解くのである。
▲▼成就社から頂上への参道
先達は、あえて死と背中合わせといってもいい状況に青年たちを追い込み、自力で新しい命を芽生えさせていたようにも感じる。こうして通過儀礼を修めた青年たちは村に戻ると、村人総出で祝福され、以後一人前の大人として扱われる。田や畑を譲り受け、結婚する資格を持つというわけだ。
石鎚山は西日本の生活者にとってなくてはならない山としてそびえている。それは死と生をつかさどり、命を見守り育む存在なのである。
石鎚山頂上周辺は広大な自然林が広がり、絶滅が危惧される貴重な動植物も多数、息づく「命の総体」と言っていい。青年たちは、その「命の総体」に飛び込み、死線を超えて再生され、世の中を支えていくのである。
▲春の石鎚山を彩るアケボノツツジ
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