遍路点描 第2話 お遍路さんを見守る墓


 四国路の春はお遍路さんとともに訪れる。

 松山市窪野町の旧遍路宿「坂本屋」では、春のお彼岸を迎えるころ、立ち寄るお遍路さんがピークを迎える。


旧遍路宿「坂本屋」。近年は外国人遍路が増えたという


 坂本屋は遍路道の難所とされる「三坂峠」の中腹に明治の終り頃、建てられたとされる。

木造2階建で2階の座敷からは遥かに瀬戸内海が臨める。昭和30年代初頭まで宿や雑貨店を営んだが、自動車の普及とともに人の気が遠ざかり、閉店したという。坂本屋周辺の遍路遍路道は昔ながらの道幅で、自動車が行き交うことができないからだ。その後、約半世紀、廃屋のようになっていた。

 しかし、平成14年ごろ、四国の古民家を研究していた東雲短期大学の故・犬伏武彦教授に「四国で遍路宿の姿を残した最後の建物かもしれない。保存すべき」と提唱され、地域有志が保存・活用に向け奔走。翌15年、お遍路さんの休憩所として息吹を吹き返した。

坂本屋周辺の旧遍路道には、江戸時代、行き倒れとなったお遍路さんの墓「遍路墓」が、いくつか点在する。墓には在所、名前、没した日付など「生きた証」が刻まれている。



▲▼「坂本屋」近辺に残る遍路墓


 坂本屋の近くに暮らす90歳の男性によると、道で息を引き取ったお遍路さんを見つけると地元の世話人たちが、地元のお坊さんを呼んで供養し、決められた場所に埋葬したという。亡くなった人の中には白衣の襟の内側などに住所を書いた紙やお金を入れ、縫い付けていたらしい。世話人たちが、その住所を頼りに身内に連絡を取ると、やがて骨は引き取られ、墓が立てられた。

墓は後の世のお遍路さんを見守るかのように、風雪と共に時代を刻む。


▲遍路道を見守る江戸時代の「馬頭観音」