鳥は飛ばねばならぬ
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒濤の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
ー坂村真民「鳥は飛ばねばならぬ」
<解説>
この詩は、昭和51年の元旦、真民が66歳の時に作られたものです。
真民は、世尊が、仏様のことですね、80年の生涯を身をもって示されたのは、「人は生きねばならぬ」ということだったのだ、と元旦に悟り、この詩を作ったと言ってます。
この詩で真民が訴えているのは、「闇の向こうには、必ず光がある」ということと、「人は生まれてきたからには、最善を尽くして生きなければならない」ということです。
この詩は、東日本大震災の後、東北で被災された方々が、真民の詩を読んで、生きる勇気と希望をもらった、と言ってくださる時、まず一番に挙げられるのが、この詩なんですね。
「人は生まれてきたからには、生きなければならない」ということを、「生きねばならぬ」という断定の言葉として書いていますね。これが、真民自身の強い信念と人間に対する希望の表れだと思います。
砥部町立坂村真民記念館
館長 西澤孝一

企画展
かなしみを あたためあって あるいてゆこう
村真民の世界
2021年10月1日(金)〜2022年2月27日(日)
坂村真民記念館

ー坂村真民ー
1909(明治42)年、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昻(たかし)。
八歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後、朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師に。
終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら詩を作り続けた。毎月詩誌「詩国」を発行し無償で全国の読者に届ける。
58歳の時、砥部町に定住し、65歳で退職後は詩作に専念。
2006(平成18)年、97歳で永眠。
一遍上人を敬愛し、「タンポポ堂」と称する居を構え、毎日午前零時に起床。夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのが日課であった。
飾らない素朴な言葉で人生を歌い続け、その詩の数々は、多くの人に優しさや勇気、そして希望を与え続けている。さらに、慈しみの心にあふれた人柄や生き方は、老若男女幅広い層から支持されている。
(写真は90歳のときのものです)
ー坂村真民記念館 館長 西澤 孝一(にしざわ こういち)ー
(プロフィール)
愛媛県庁職員退職後、坂村真民記念館開館から館長に就任。真民の家族として最後を看取った。
(著 書)
「天を仰いでー坂村真民箴言詩集」(編集)(2019年、致知出版社)
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」(2017年、致知出版社)
「自分の道をまっすぐゆこう」(監修)(2012年、PHP研究所)
坂村真民記念館: 愛媛県伊予郡砥部町大南705
(TEL:089-969-3643)
(FAX:089-969-3644)
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