『日常的なもの』の持つ力

「病床六尺」は先にも触れたが、新聞日本へ連載された子規の随筆で明治35年5月5日から亡くなる2日前の9月17日まで4カ月あまりの期間ほぼ休むことなく127回の連載を続けたものであるが、病状から多くは口述筆記によるものと言われている。子規にとって死に至る4カ月の期間は第1回目の記述にもあるように、病状の進行に伴って煩悶・号泣の毎日であったことは想像に難くない。そのような中で毎日文章を書き綴った子規の精神力は尋常なものではなかったと思われるが、死の2日前まで書き綴ることができた原動力は子規の希望である「書く事」「書き残すこと」であったと考えている。しかしながらカリエスの痛みに耐えかねる煩悶と号泣を繰り返す毎日の中で、「書く事」を続けることができた力は日々の生活の中で感じる日常的なものに興味を持ち何らかの形に表す「写生」するという事を子規が大切にしていたという事と子規の生来持ち合わせているユーモアのセンスからくる人間力にあったと思っている。子規の人間力の一端を伺わせる文章が第1回目の中に以下のように記されている。

 

・・・、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つこと、癪にさはる事、たまにはなんとなく嬉しくてために病苦を忘るるやうなことがないでもない。

 

そこで、127回綴られた文章を私流に分類してみた。趣味の話が65回・俳句の話が25回・緩和ケアについての話が23回・病状の話が7回・世相の話が7回であった。俳句の話が25回と意外と少なく、圧倒的に趣味の話が多く半数以上を占めているのがとても興味深い。子規はカリエスの痛みに耐えながらもその日その日の出来事を子規流の洞察力で紐解き、日常を普通に過ごしていた事が、4カ月を闘病でありながら普通の毎日にしていたのだと思えるのである。ユーモアについてアルフォンス・デーケンは「にもかかわらず笑う」と定義しているが、子規も闘病からくる煩悶・号泣を日常という普通の生活の中に包み込んで病人子規ではなく人間子規とし毎日を過ごす姿を病床六尺は記している。ここにホスピスの在り方の本質があるように思っている。

ホスピスケアを受けられている方には2つの生き方があるように感じているが、病人として過ごしている方と、病気は持っているものの本来のその人として過ごしている方である。死に至るような大きな病気を持っていながら冷静に日々の生活を送れる人などいるはずも無いと思っているが、病人として過ごしている人は心の大半が疾患に向かってしまうために、ちょっとした体の変化に敏感になりすぎて残された時間を我を失くして過ごしているように見えてしまう。子規の言う「いついかなる時も生きている事である」という悟りがその人らしさを失うことなく過ごすためには必要なことで、その人らしさを失くさない生き方は「日常的なもの」を大切にした生き方にあると考えている。