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モルヒネについて

 モルヒネの元であるアヘンはケシの実の汁を乾燥したもので、その歴史は古く紀元前3000年以上前にメソポタミアでケシが栽培され、古代エジプト中期にはアヘンが鎮痛薬として使われていた記録が残されている。その後は痛み止めや下痢止めとして使われていたが、中毒を起こしてしまうという薬の性格から社会問題となる薬でもあり、1840年にアヘン戦争と呼ばれる英国と清国との戦いに発展した歴史を残している。戦争まで引き起こしてしまう薬であったが、モルヒネがアヘンから純粋な形で抽出されたのは1806年で、治療薬として医療の現場で忘れ去られる事なく長きにわたって使用されている稀有な良薬であると私は思っている。
 

 日本におけるモルヒネの治療薬としての使用の記録は、月澤美代子によると(注1)、『順天堂医事雑誌』の1876年(明治9年)3月刊行の巻五に、舌内皮癌割出治験において「止痛薬ヲ与フ、モルヒネ 四分瓦ノ一、甘草末十瓦、右散為三包分服」とある。術後の疼痛のためモルヒネを使用した記述である。この時期にモルヒネの内服が行われていた記録は、子規においても鎮痛薬としてモルヒネの恩恵を受けることができたことの査証となろう。子規は東京根岸で療養をしていたので、松山での療養であったならば当時の医療事情から考えるとモルヒネの恩恵に浴することができたかは、筆者としてあずかり知らぬところでもある。


 現代におけるモルヒネの鎮痛薬としての位置づけについて触れておきたい。モルヒネは麻薬であるがために使用上の注意や管理においての法的な規制がある薬剤で、臨床の現場では近年まで頻用される薬剤ではなかった。

 モルヒネの位置づけを変えたのは、近代ホスピスの母と呼ばれる英国の医師シシリー・ソンダースと言って過言ではない。彼女は1967年に現在のホスピスケアの原点というべき聖クリストファーホスピスの創設に携わった人で、彼女はその当時がんの終末期患者は病室の隅に追いやられ人としての尊厳もなく痛み苦しみながら死を迎える現状を憂い、モルヒネを積極的に使うことでがん性疼痛の治療を提唱した人である。英国では1950年代にブロンプトンカクテルと呼ばれるモルヒネにアルコールやシロップを混ぜた水薬が開発され、シシリーソンダースも実地で多用していた。日本ではモルヒネ水という名前で各施設で自前で調合し使用していた時代があり、現在市販されているモルヒネ塩酸塩内用液剤(商品名オプソ)の原型と言ってよい。シシリーソンダースが起こしたホスピス運動は全世界へ広がり、1986年に世界保健機構(WHO)は「がんの痛みからの解放」を発表し、その中で“WHO方式がん疼痛治療法”において医療用麻薬であるモルヒネを積極的に使うことを提唱している。その当時、医療者の中にはモルヒネを積極的に使う考えはなく、WHOによる緩和ケアの推進はがんの痛みで苦しむ患者様にとってまさに福音となる画期的な出来事であった。


 モルヒネは1800年代に登場した歴史が古い薬で、様々な臨床治験が積み上げられてきたであろうと想像されるにもかかわらず、がん性疼痛治療薬として日の目を見ることになったのは先に挙げた1986年のWHOの提唱がきっかけであり、実に最近まで積極的に使われなかった薬物である。

 その要因としてモルヒネは麻薬でありその取扱いに注意がいることと、いわゆる“麻薬中毒”という問題が大きな壁になっていたものと思われる。しかし、科学は有難いもので安全に使うための方策をちゃんと示してくれる力があり、痛みを有する患者様においてモルヒネは適正に使用すればいわゆる麻薬中毒と言われる精神依存は起こりにくいことが証明され、安全に使える薬として臨床の現場で頻用される様になっている。モルヒネを含む他の医療用の麻薬は飲み薬や貼り薬、坐剤、注射剤など様々な剤形が開発され、患者様の病状・病態に合わせて適切に痛みを取るための治療が行えるように工夫されている。ほぼ取れない痛みはないと言っても過言ではないほど疼痛治療は進歩を遂げている領域である。

 

参考文献
注1)日本医史学雑誌2012;58(4)457-470.

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