悟りとは(2)

『因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。

 また問ふ。祖師西来の意は奈何。日、苦。

 また問ふ。・・・・・・・・・。 日、苦。』

 

 最初の2行は中国宋代の公案集、いわゆる禅問答集の一つである「無門関」1)から取ったものと思われる。「無門関」は無門慧開(1183-1260)が禅を極めるために希代の禅僧たちが問うて来た禅問答を選りすぐって一書にまとめたもので、最初の2つの問答は唐代の趙州禅師の禅問答である。原典は以下のように記されている。

 

『趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有や」。州曰く、「無」』

 

 ある僧が趙州和尚に「犬にも仏性がありますか」と問うたところ、趙州和尚は「無」と答えた、という禅問答である。この問答は「無門関」の最初の問答として取り上げられたもので、この「無」とは、「犬に仏性が有るとか無いとかを問答するのではなく、ただひたすら「無」と取り組めという禅宗の本質を説いた教えである。しかし、子規は「苦」と帰結している。「苦」を受け入れて「いついかなる時も生きることである」とする子規の悟りの境地を感じるのである。脊椎カリエスによって絶叫・号泣・煩悶するほどの苦しみすべてを受け入れる事、すなわち生きる事そのものが苦しみと向き合うことであるとする子規の悟りの言葉ではないかと思うのである。

 2つ目の禅問答は、「祖師西来の意は奈何」と問われ、原典は「庭前の柏樹子」と答えている。内容は「達磨大師がはるばるインドからやってこられた意図は何ですか」の問いに、趙州和尚は庭を指さして「あの柏の樹じゃ」と答えた問答で、達磨大師がインドからはるばる来た意図はこれこれであると説明することもできないし、説明したところで本質は伝わらない、説明を聞いてしまうとやはりその本質を見失ってしまうかもしれない、ただただ庭に植わっている柏樹の木のように無心の境地になることが大切であると教えている。この問答の本質は、禅とは何かの問いであり、子規は「苦」と結び、生きることは「苦」であり、その「苦」すべてを受け入れようとする子規の悟りの言葉として受け止めることができるのではないかと思えるのである。

 3つ目の問答では、子規は如何なる問いにもすべて「苦」と結び、禅宗の教えの境地は「苦」であり、「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」と記す。

子規のまさに「悟り」を補足するに足る子規禅師の禅問答ではないかと思った次第である。子規は、その後の病床六尺の記述の中にも煩悶・絶叫・号泣を繰り返しながら、六尺というとてつもなく狭い病床にあって思索という無限の広がりの中で日々過ごしてゆくのであるが、「苦」から解放される3ヵ月余り前の悟りの言葉である。

 ホスピスケアの現場で、自分の病名・病状を理解されている方の多くが、「死はこわくありません。しかし苦しみながら死ぬことだけは避けたい。どうか苦しみを少しでも取って楽にいかせてください。」と語られる。人間のすごさをいつも感じる言葉である。

 人は死を予感し死と向き合わざるを得ない状況に置かれると命の終わりを覚悟する力があることを実感している。

 しかし、多くは身体に苦痛を伴わない自立した状況の時の言葉でもある。現実として死が間近に迫ってきていることを実感すると多くの方が心が揺らぎ、心の苦しみを訴えられる。緩和ケアに造詣の深い医師であった患者様やお寺のお坊様であった患者様でも、「そういうお話をもうしないでください」と深い話を拒否する方を経験している。誰しも死ぬことは嫌であろうし、死について考えること自体が嫌に決まっているのが素直な感情である。誰一人として行って帰って来たことがないあの世への旅立ちのための心得、そのことが「悟り」ではないかと思っている。

 いざ現実として「死」が間近に迫ってくると悟ることができるのだろうかと当然のことであるが思ってしまうが、「悟り」とは「覚悟と希望」ではないかと考えている。死にゆく自分と向き合うには命の終わりを受け入れる「覚悟」が必要である。

 先にも触れたように、人は最後必ず心が揺れるもので、「覚悟」して死に至るまで平気でいられることは不可能だと思えるのであるが、そこには日々を過ごしてゆく中での「希望」が「覚悟」を支えているのだと思っている。

 私流の「悟り」とは『一度の覚悟と、毎日の希望』と心得ているが、私流の「覚悟と希望」を病床六尺から読みとくことができる。「悟り」に子規の言う「苦」という言葉で覚悟が記され、希望とは短詩形革新運動の飽くなき追及であり、日々の生活の中での出来事を病床六尺の中で綴ることにあったものと思う。そこにはモルヒネというカリエスの激痛を和らげる薬の存在抜きには考えられない事でもある。さらには母八重や妹律の献身的な家族の存在であり、子規を取り巻く様々な人たちの支えがあったことはもちろんのことである。「覚悟と希望」が持てることがその人らしさを支える力であり、ホスピスケアの本質がそこのあると考えている。

 

文献:

1.西村恵信訳注「無門関」岩波文庫、1994年