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「病床六尺」執筆の頃の
子規の病状と想い

「病床六尺」は先にも触れたが、日本新聞へ連載された子規の随筆で、明治35年5月5日から亡くなる2日前の9月17日まで4カ月あまりの期間ほぼ休むことなく127回の連載を続けたものである。「病床六尺」の連載が開始となる少し前の明治34年年末の時期からの子規の病状を今一度振り返り、「病床六尺」にかける子規の思いを見ることにする。

 明治34年12月15日「ホトトギス」消息欄に碧梧桐が子規の様子を残している1)。病状が進行し痛みによる苦悩・煩悶はそばで看ていても想像を絶するほどのものであり、誰かがそばで子規の病苦を慰労する必要が有ると考えて、伊藤左千夫、香取秀眞、岡麓、赤木格堂、寒川鼠骨、高浜虚子が午後から深夜まで交代で付き添いを始めたことが記されている。この頃、子規は体調が良ければ日本新聞への随筆口述筆記や、子規唯一の自選句集である「獺祭書屋俳句帖」の編纂を行い、碧梧桐をして子規の病苦を押して一生懸命励んでいる様に健康体である自分たちが「愧死するところ(死ぬほど恥ずかしい思いをする事)である」と記し、子規の短詩型文学にかける命を賭した思いに応えるべき自分たちの在り方を語っている。しかし、高浜虚子の明治35年1月19日の病床日誌2)によると、子規の様態が悪くなり碧梧桐は往診の医師から衰弱がひどく注意するようにと言われ、虚子は碧梧桐から連絡を受けてすぐ駆け付たところ、子規はウンウン苦し気に力なく唸っていて、陸羯南が手を握り額を撫でて慰めていたと記されていて、病状がひっ迫している様子が伺える記録である。幸い数日で危機を脱し落ち着いた様子がのちの記録に残されているが、子規の病状が増悪と小康を繰り返すひっ迫している状況にあったことが窺える。

 この時期の子規の短詩型文学にかける思いは「獺祭書屋俳句帖抄上巻」を上梓にあり、病勢の合間を縫って編纂に取り組んでいたことが挙げられる。「獺祭書屋俳句帖抄上巻」は、明治25年から29年までの期間に子規が詠んだ俳句を自ら選び俳句集として編んだもので、明治35年4月に初版が出されている。この編纂に当たって子規は「獺祭書屋俳句帖抄上巻を出版するに就きて思ひつきたる所をいふ」という文章を明治35年1月3日の日付で残している。上記の病勢ひっ迫の波の中で記された子規の想いである。内容は、昔から自選の句集を出す人は少なく、芭蕉や蕪村も句集を出すことを好まなかったようだと記し、自らに振り返ってみると俳句をやり始めた頃は分かったような勢いに任せて自分の句集を出版したいと思うこともあったが、時が経つと大得意であった句がつまらないものに思えて、俳句の標準が年と共に変わってゆく事に気づき、今日の標準で厳格に選んだところで来年になると嫌な感じになると思うと自選の句集など到底出せるのもではないと言っているのである。しかし心変わりする子規のこの頃の想いが以下のように続くのである。

 ・・・。ところが此の頃になつてふいにと自分の句を選んで見たいといふ考えが起こつて来た。其はどういふわけであるか自分にもわからぬけれど、自分の病気はだんだん募る。身體の衰弱と共に精神の衰弱も増して来て去年以来は俳句を作ることも全く絶えてしまうてをる。そんなことからさきに少しも望みのない身の上となつて従て自分の俳句はこれ迄で既に結諒してをるやうな考から、それならば昔の苦吟の形見を一冊に纏めて見たらばどんなものになるのであらうか、といふやうな考へが出て来て句集でも拵(こしら)えて見たいといふことになつたのかもしれない。・・・

 

 子規は先行きに限りの有ることを覚悟し、俳句の自選集を出版する覚悟を持ったのであろう。子規のこの時期の文学創造にかける強い決意の表れであったと思っている。「病床六尺」はそんな子規の鬼気迫る思いから始まった覚悟の言葉と言って良いと思えるのである。そのことを裏付ける子規の想いが河東碧梧桐が編纂した「子規言行録」の中の古島一念による「日本新聞時代餘録」に記されていてとても興味深い。古島一念は日本新聞の記者で、子規と一緒に日清戦争の従軍記者として戦地に赴いた生涯の盟友と言われた人である。「病床六尺」の連載が始まった頃、古島一念は呻吟しつつ毎日毎日原稿を書くのはさぞや苦しいであろうと子規の病状を心配して体を休ませやろうと掲載を1日休んだことがあったのだと言うのである。そうすると翌日社に子規から手紙が届きその文面は以下のようであった。

 

 拝啓 

 僕の今日の命は「病床六尺」にあるのです

 毎日寝起に死ぬる程苦しいのです

 其の中で新聞をあけて病床六尺を見ると僅に蘇るのです

 今朝新聞を見た時の苦しさ

 病床六尺が無いので泣き出しました

 どうもたまりません

 若し出来るなら 少しでも(半分でも)載せて戴いたら

 命が助かります

 僕はこんな我儘をいはねばならぬ程弱つているのです

                     正岡常規

 編輯主任御中

 

 まさに子規の「病床六尺」にかける想いが素直にストレートに力強く表現されたもの以外に解釈のしようがない手紙である。「病床六尺」は子規の命の叫びであり、先人の知恵として少しずつひも解いてゆくことにする。

 

文献:

1)子規全集第12巻、P662、明治三十四年十二月七日、碧梧桐記

2)子規全集第11巻、病床日誌虚子、佐千夫、碧梧桐記、p556-

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