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<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第十二回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





<本文>

 病勢が段々進むに従つて何とも言はれぬ苦痛を感ずる。それは一度死んだ人かもしくは死際にある人でなければわからぬ。しかもこの苦痛は誰も同じことと見えて黒田如水などといふ豪傑さへも、やはり死ぬる前にはひどく家来を叱りつけたといふことがある。この家来を叱ることについて如水自身の言ひわけがあるが、その言ひわけは固より当になつたものではない。畢竟は苦しまぎれの小言と見るが穏当であらう。陸奥福堂も死際には頻に細君を叱つたさうだし、高橋自恃居士も同じことだつたといふし、して見ると苦しい時の八つ当りに家族の者を叱りつけるなどは余一人ではないと見える。越後の無事庵といふは一度も顔を合したことはないが、これも同病相憐む中であるので、手紙の上の問ひ訪づれは絶えなかつたが、ことし春終に空しくなつてしまふた。その弟の丶人その遺子木公と共に近頃わが病床を訪づれて、無事庵生前の話を聞いたが、かくまでその容体の能く似ることかと今更に驚かれる。一、二の例を挙ぐれば、寸時も看病人を病床より離れしめぬ事、凡すべて何か命じたる時にはその詞ことばのいまだ絶えざる中に、その命令を実行せねば腹の立つ事、目の前に大きな人など居れば非常に呼吸の苦痛を感ずる事、人と面会するにも人によりて好きと嫌ひとの甚だしくある事、時によりて愉快を感ずると感ぜざるとの甚だしくある事、敷蒲団堅ければ骨ざはり痛く、敷蒲団やはらかければ身が蒲団の中に埋もれてかへつて苦しき事、食ひたき時は過度に食する事、人が顔を見て存外に痩せずに居るなどと言はれるのに腹が立ちて火箸の如く細りたる足を出してこれでもかと言ふて見せる事、凡そこれらの事は何一つ無事庵と余と異なる事のないのは病気のためとは言へ、不思議に感ぜられる。この日はかかる話を聞きしために、その時まで非常に苦しみつつあつたものが、遽に愉快になりて快き昼飯を食ふたのは近頃嬉しかつた。

 無事庵の遺筆など見せられて感に堪へず、われも一句を認めて遺子木公に示す。

鳥の子の飛ぶ時親はなかりけり


正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版

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