<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第六回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。




<本文>

今日は頭工合やや善し。虚子(きょし)と共に枕許(まくらもと)にある画帖をそれこれとなく引き出して見る。所感二つ三つ。

 余は幼き時より画を好みしかど、人物画よりもむしろ花鳥を好み、複雑なる画よりもむしろ簡単なる画を好めり。今に至つてなほその傾向を変ぜず。それ故に画帖を見てもお姫様一人画きたるよりは椿一輪画きたるかた興深く、張飛(ちょうひ)の蛇矛を携(たずさへ)たらんよりは柳に鶯(うぐいす)のとまりたらんかた快く感ぜらる。

 画に彩色あるは彩色なきより勝(まさ)れり。墨画(すみえ)ども多き画帖の中に彩色のはつきりしたる画を見出したらんは万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)の趣あり。

呉春(ごしゅん)はしやれたり、応挙(おうきょ)は真面目なり、余は応挙の真面目なるを愛す。

『手競画譜(しゅきょうがふ)』を見る。南岳(なんがく)、文鳳(ぶんぽう)二人の画合せなり。南岳の画はいづれも人物のみを画き、文鳳は人物のほかに必ず多少の景色を帯ぶ。南岳の画は人物徒(いたずら)に多くして趣向なきものあり、文鳳の画は人物少くとも必ず多少の意匠あり、かつその形容の真に逼(せま)るを見る。もとより南岳と同日に論ずべきに非ず。

 或人の画に童子一人左手に傘の畳みたるを抱へ右の肩に一枝の梅を担(かつ)ぐ処を画けり。あるいはよそにて借りたる傘を返却するに際して梅の枝を添へて贈るにやあらん。もししからば画の簡単なる割合に趣向は非常に複雑せり。俳句的といはんか、謎的といはんか、しかもかくの如き画は稀(まれ)に見るところ。

抱一(ほういつ)の画、濃艶(のうえん)愛すべしといへども、俳句に至つては拙劣(せつれつ)見るに堪へず。その濃艶なる画にその拙劣なる句の賛(さん)あるに至つては金殿に反古(ほご)張りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚だし。

『公長略画』なる書あり。纔(わずか)に一草一木を画きしかも出来得るだけ筆画を省略す。略画中の略画なり。而してこのうちいくばくの趣味あり、いくばくの趣向あり。蘆雪(ろせつ)らの筆縦横自在(じゅうおうじざい)なれどもかへつてこの趣致を存せざるが如し。あるいは余の性簡単を好み天然を好むに偏するに因よるか。



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版