<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第一回】

正岡子規の闘病記録!?「病床六尺」を読む


『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。





正岡子規「病牀六床」(一)


 病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。

僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。


 甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。

苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪むさぼ果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。


 年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして


 土佐の西の端に柏島といふ小さな島があつて二百戸の漁村に水産補習学校が一つある。

教室が十二坪、事務所とも校長の寝室とも兼帯で三畳敷、実習所が五、六坪、経費が四百二十円、備品費が二十二円、消耗品費が十七円、生徒が六十五人、校長の月給が二十円、しかも四年間昇給なしの二十円ぢやさうな。


 そのほかには実習から得る利益があつて五銭の原料で二十銭の缶詰が出来る。生徒が網を結ぶと八十銭位の賃銀を得る。それらは皆郵便貯金にして置いて修学旅行でなけりや引出させないといふ事である。この小規模の学校がその道の人にはこの頃有名になつたさうぢやが、世の中の人は勿論知りはすまい。


 余はこの話を聞いて涙が出るほど嬉しかつた。我々に大きな国家の料理が出来んとならば、この水産学校へ這入はいつて松魚かつおを切つたり、烏賊いかを乾したり網を結んだりして斯様かような校長の下に教育せられたら楽しい事であらう。

(五月五日)



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版