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<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第七回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。




<本文>

○名所を歌や句に詠むにはその名所の特色を発揮するを要す。故にいまだ見ざるの名所は歌や句に詠むべきにあらざれども、例せば富士山の如き極めて普通なる名所は、いまだこれを見ざるもあるいは人の語る所を聞き、あるいは人の書き記せる文章を読み、あるいは絵画写真に写せる所を見などして、その特色を知るに難(かた)からず。さはいへやはり実際を見たる後には今までの想像とは全く違ひたる点も少からざるべし。余いまだ芳野を見ず。かつ絵画文章の如きも詳しく写しこまかに叙したるものを知らず。今年或人の芳野紀行を読みていくばくの想像を逞(たくま)しうするを得て試みに俳句数首を作る。もし実地を踏みたる人の目より見ば、実際に遠き句にあらずんば、必ず平凡なる句や多からん。ただそれ無難なるは主観的の句のみならんか。



六田越えて花にいそぐや一の坂

芳野山第一本の桜かな

花見えて足踏み鳴らす上り口

花の山蔵王権現(ざおうごんげん)鎮(しず)まりぬ

指すや花の木の間の如意輪寺(にょいりんじ)

案内者の楠(くすのき)語る花見かな

案内者も吾等も濡れて花の雨

南朝の恨を残す桜かな

千本が一時に落花する夜あらん

西行庵(さいぎょうあん)花も桜もなかりけり


(五月十四日)



正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版

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