<朗読>正岡子規「病床六尺」を読む【第十回】



『病牀六尺』は、松山出身の文人・正岡子規が、明治35年5月5日から亡くなる2日前の

9月17日まで、死の病と向き合う苦しみ・不安、日々のたわいもない日常の風景、介護し

てくれる家族のこと、文学、芸術、宗教など日々心の底から湧いてくる気持ちを日々書き綴

った随筆です。日本人に100年以上読み継がれる名作ですが、同時に死と向き合う心情を赤

裸々に包み隠さず表現した闘病記録です。透明な躍動感とユーモアを放つ子規文学の「響き」をお届けします。




<本文>


○前にもいふた南岳なんがく文鳳ぶんぽう二人の『手競画譜』の絵について二人の優劣を判じて置いたところが、或人はこれを駁ばくして文鳳の絵は俗気があつて南岳には及ばぬといふたさうな。余は南岳の絵はこれよりほかに見たことがないし、殊ことに大幅たいふくに至つては南岳のも文鳳のも見たことがないから、どちらがどうとも判然と優劣を論じかねるが、しかし文鳳の方に絵の趣向の豊富な処があり、かつその趣味の微妙な処がわかつて居るといふことは、この一冊の画を見ても慥たしかに判ずることが出来る。尤もっとも南岳の絵もその全体の布置ふち結構けっこうその他筆つきなどもよく働いて居つて固もとより軽蔑すべきものではない。故に終局の判断は後日を待つこととしてここには『手競画譜』にある文鳳のみの絵について少し批評して見よう。(もとこの画譜は余斎よさいの道中歌を絵にしたものとあるからして大体の趣向はその歌に拠よつたのであらうが、ここにはその歌がないので、十分にわからぬ。)

 この道中画は大方東海道の有様を写したものであらうと思ふ。かつ歌合せの画を左右に分けて画に写したのであるから、左とあるのが凡すべて南岳の画で、右とあるのが凡て文鳳の画である。

 その始めにある第一番の右は即ち文鳳の画で、三艘さんそうの舟が、前景を往来して居つて、遥はるかの水平線に帆掛舟ほかけぶねが一つある。そのほかには山も陸も島も何もない。この趣向が已に面白い。殊に三艘の舟の中で、前にある一番大きな舟を苫舟とまぶねにして二十人ばかりも人の押合ふて乗つて居る乗合船を少し沖の方へかいたのが凡趣向でない。普通の絵かきならば、必ずこの乗合船の方を近く大きく正面にしてかいたであらう。

 二番の右は道中の御本陣ともいふべき宿屋で貴人のお乗込みを待ち受けるとでもいふべき処である。画面には三人の男があつて、そのうち一人は門前に水を撒まいて居る。他の二人は幕を張つて居る。その幕を張つて居る方の一人は下に居つて幕の端を持ち、他の一人は梯子はしごに乗つて高い処に幕をかけて居る。その梯子の下には草履ぞうりがある。箒ほうきがある。踏ふみつぎがある。塵取ちりとりがある。その塵取の中には芥あくたがはひつて居る。実にこまかいものである。それで全体の筆数はといふと、極めて少いもので、二分間位に書けてしまひさうな画である。これらも凡手段の及ぶ所でない。

 三番の右は川渡しの画で、やや大きな波の中に二人の川渡しがお客を肩車にして渡つて居る所である。ここにも波と人とのほかに少しの陸地もかかないのは、この川を大きく見せる手段であつて前の舟三艘の画とその点がやや似て居る。その川渡しの人間は一人が横向きで、一人が後ろ向きになつて居る。その両方の形の変化して面白い処は実際の画を見ねばわからぬ。

 四番の右は何んの画とも解しかぬるので評をはぶく。

 五番の右は例の粗筆で、極めて簡略にかいて居るが、その趣向は極めて複雑して居る。正面には一間に一間半位の小さい家をかいて、その看板に「御かみ月代さかやき、代だい十六文」とかいてある。その横にある窓からは一人の男が、一人の髯武者ひげむしゃの男の髯を剃そつて居る処が見える。その窓の下には手箒てぼうきが掛けてあつて、その手箒の下の地面即ち屋外には、鬢盥びんだらいと手桶のやうなものが置いてある。今いふた窓が東向きの窓ならば、それに接して折曲つた方の北側は大方壁であつて、その高い処に小さな窓があけてあつて、その窓には稗蒔ひえまきのやうな鉢植が一つ置いてある。その窓の横には「やもり」が一疋いっぴき這ふて居る。屋根は板葺いたぶきで、石ころがいくつも載せてある。かういふ家が画の正面の大部分を占めて居つて、その家は低い石垣の上に建てられて居る。その石垣といふのは、小さな谷川に臨んで居るので、家の後ろ側の処に橋の一部分が見えて居る。それだからこの画の場所を全体から見ると、小川にかけてある橋の橋詰に一軒の小さな床屋があるといふ処である。その趣のよいのみならず、これほどの粗画にこの場所から家の構造から何から何まで悉ことごとく現はれて居るといふのは到底文鳳以外の人には出来る事でない。実に驚くべき手腕である。

 六番の右は薄原すすきはらに侍が一人馬の口を取つて牽ひいて居る処である。この画も薄のほかに木も堤も何もないので、かつその薄が下の方を少しあけて上の方は画けるだけつめてかいてあるので、薄原が広さうにも見え、凄すごさうにも見え、爪先上つまさきあがりになつて居るやうにも見える。そこで侍も馬も画面のなかばよりはやや上の方にかいてある。この画の趣向は十分にわからぬけれど、馬には腹帯があつて、鞍くらのない処などを見ると、侍が荒馬を押へて居る処かと思はれる。これが侍であつて馬士まごでない所(それは髷まげと服装と刀とでわかるが)も面白いが、馬が風の薄にでも恐れたかと思ふやうな荒々しき態度のよく現はれる処も面白い。

(五月二十二日)


正岡子規「病牀六尺」

初出:「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

底本:病牀六尺

出版社:岩波文庫、岩波書店

初版発行日:1927(昭和2)年7月10日、1984(昭和59)年7月16日改版