このひと
このひとと共に歩いて四十六年
坂ばかりの道であったが
今やっといくらか平らかなものとなった
このひとは生まれながらに
良いものを持ち
それが年と共に
豊かさを加えてきた
わたしは妻としてでなく
女としてこのひとを見
老いてますます
駄目になってゆく自分と比べて
どんなにしても勝てっこない
このひとの素質の美に打たれ
世阿弥の言う
散らで残りし花を感ずる
ー坂村真民「鳥は飛ばねばならぬ」
<解説>
この詩は昭和56年、真民が72歳の時に書いた詩です。
坂村真民と妻久代は、真民が26歳、久代が18歳の時に朝鮮で結婚し、それから46年経った時の詩ですね。
3人の娘をすべて嫁がせ、教員生活も止め、夫婦二人の静かな生活を送るようになって8年が過ぎ、マスコミで全国的に紹介され、詩人としても充実してきた頃だと思います。
結婚して46年間、妻には苦労ばかり掛けてきたことや、やっと平穏で少しは楽な生活が出来るようになったことを思い返しながら、
この妻のおかげで、こうした平穏な生活が出来るのだということ、そして、人間として、素晴らしい素質を持っている、妻に対して、あらためて感謝の気持ちを伝えたいという、真民の気持ちが、素直に表現された詩です。
世阿弥の言葉を借りて、老いてますます花を感ずる、妻を称賛している詩なのです。
砥部町立坂村真民記念館
館長 西澤孝一
企画展
かなしみを あたためあって あるいてゆこう
村真民の世界
2021年10月1日(金)〜2022年2月27日(日)
坂村真民記念館
ー坂村真民ー
1909(明治42)年、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昻(たかし)。
八歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後、朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師に。
終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら詩を作り続けた。毎月詩誌「詩国」を発行し無償で全国の読者に届ける。
58歳の時、砥部町に定住し、65歳で退職後は詩作に専念。
2006(平成18)年、97歳で永眠。
一遍上人を敬愛し、「タンポポ堂」と称する居を構え、毎日午前零時に起床。夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのが日課であった。
飾らない素朴な言葉で人生を歌い続け、その詩の数々は、多くの人に優しさや勇気、そして希望を与え続けている。さらに、慈しみの心にあふれた人柄や生き方は、老若男女幅広い層から支持されている。
(写真は90歳のときのものです)
ー坂村真民記念館 館長 西澤 孝一(にしざわ こういち)ー
(プロフィール)
愛媛県庁職員退職後、坂村真民記念館開館から館長に就任。真民の家族として最後を看取った。
(著 書)
「天を仰いでー坂村真民箴言詩集」(編集)(2019年、致知出版社)
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」(2017年、致知出版社)
「自分の道をまっすぐゆこう」(監修)(2012年、PHP研究所)
坂村真民記念館: 愛媛県伊予郡砥部町大南705
(TEL:089-969-3643)
(FAX:089-969-3644)
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