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遍路点描 第1話 親心が動機となった遍路のルーツ


▲久谷地区の遍路道を歩くお遍路さん


約1200年余りにわたり、四国に息づく遍路文化。世界遺産への登録を目指す日本の文化として海外からの巡礼者も増えています。四国の辺境を巡る約1100~1400㌔の旅。そこには死と背中合わせに生を見つめ、よりよく生き切ろうと願ってきた人々の息遣いが潜んでいます。遍路の里、四国から日本人の死生観を垣間見ていきます。


親心が動機となった遍路のルーツ


 四国遍路は青年時代の空海が、都を飛び出し、四国間山野に潜んで仏教の修行をしたことに由来するといわれていますが、遍路のルーツ、つまり始祖は平安時代の豪農、衛門三郎とされ、諸説がありません。衛門三郎は空海との出会いを通じて遍路となり、空海に看取られてあの世に渡りますが、やがて伊予国の領主として生まれ変わります。

衛門三郎は現在の松山市久谷地区(恵原町)に暮らしていたとされます。

 伝説にはこうあります。


伊予の国に滞在していた空海がある日、みすぼらしい乞食(こつじき)僧の姿で、衛門三郎のもとを訪ね、托鉢を乞いました。

衛門三郎は追い返しますが、乞食僧は毎日のように訪れます。

業を煮やした衛門三郎が、手にしていた箒で僧が手にしていた鉢をたたき落としたところ、鉢は八つに砕けました。

それからというもの、衛門三郎の八人の子供が次々に亡くなりました。悲しみに暮れる衛門三郎の夢枕にある日、あの乞食僧が出現。弘法大師空海であることに気づかされます。衛門三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに贈与。大師を追い求め、四国巡礼の旅に出ました。

二十回もの巡礼を重ねましたが、大師には出会えません。

今後は逆に回りますが、阿波国の焼山寺(現在の四国霊場12番札所)の近くの庵で、病に倒れてしまいました。

死期が迫りつつある三郎の前に、大師が現れます。

三郎は今までの非を泣いて詫び、大師の「望みはあるか」との問いかけに、「来世には河野家に生まれ変わり人の役に立ちたい」と口にして、息を引き取りました。

大師は路傍の石に「衛門三郎」と書き、その左手に握らせたといいます。

大師の導きにより、衛門三郎の罪は浄められ、八人の子供たちとともに極楽へ渡り、後の人々から「遍路始祖」と崇拝されるようになりました。

衛門三郎が亡くなった翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れました。しかし、その子は左手を固く握って開こうとしません。

息利は心配し、安養寺(現在の四国霊場第51番札所石手寺)の僧が祈願をしたところ、やっと手を開きます。すると、「衛門三郎」と書いた石が出てきたといいます。安養寺が後に「石手寺」と寺号を改めた由縁です。衛門三郎はめでたく領主として再来したのです。

四国遍路は、懺悔を経てあの世にわたり、再生へと転じていく魂の道筋が示されているのです。 



ここに日本人の死生観を垣間見ることができます。悪行を重ねた者も遍路となり、行き倒れることで魂は救済され、再来が約束されるということです。


久谷地区には今も昔ながらの遍路道が残り、その道端には江戸時代に行き倒れたお遍路さんの墓が点在しています。それは亡くなったお遍路さんを埋葬し、供養した地元の人たちの姿を物語っています。お遍路さんに無償で食べ物を与え、お世話をする「お接待」です。


▲衛門三郎の8人の子供たちが祀られていると伝わる「八ツ塚群集古墳」


同地区には衛門三郎が八人の子供たちをそれぞれ埋葬したと伝わる八つの墳墓があります。墳墓は、松山市が指定する文化財「八ツ塚群集古墳」として保存されています。発掘調査がなされていないことや、古墳が築かれた時代と空海が生きた時代にずれがあるため、衛門三郎の子供たちを埋葬したものとは実証できませんが、それぞれの塚の頂上には子供たちの名前が刻まれた石碑と地蔵が祀られています。


衛門三郎は豪農でしたが、罪に目覚め、すべてを投げ捨て無一文の遍路となります。それはたった一言、「ごめんなさい」と詫びるためです。その動機は子供たちの死でした。死が衛門三郎を突き動かし、魂の再生へといざなっていったのです。詫びなければ子供たちが成仏できないと思ったからなのかも知れません。これは当時の人にとっては一大事です。

死→成仏→再生の輪廻に違(たが)うからです。

衛門三郎は悪人として描かれていますが、慄然とした親心がありました。親心という普遍の愛が、原動力となったということが読み取れます。

新型コロナの影響でお遍路さんは激減していますが、近年、歩いて四国霊場をめぐる日本人遍路は減少する一方、外国人遍路は増加。なかでも女性が目立つ」とお接待をしている人たちは話します。

遍路とはいかなる精神世界なのか―!?

世界のまなざしが集まり始めています。


▲遍路道を示す道標。お遍路さんたちはこの道標を見つけながら、歩く。


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