一番いい人
何も知らない人が
一番いい
知っても忘れてしまった人が
一番いい
禅の話もいらぬ
念仏の話もいらぬ
ただお茶を飲みながら
鳥の声を聞いたり
行く雲を仰いだり
花の話などして帰ってゆく人が
一番いい
別れたあとがさわやかで
過ぎた時間が
少しも惜しくない人が
一番いい
ー坂村真民「一番いい人」
<解説>
この詩は、真民が74歳の時の詩です。
「何も知らない人」、「知っても忘れてしまった人」、「鳥の声を聞いたり、花の話などをして帰ってゆく人」、「別れた後がさわやかで、過ぎた時間が、少しも惜しくない人」が一番いい人、であるというのは、真民が、理想とする「人間の生き方」を詠っているのだと思います。
禅の世界では、心を空っぽにすること、「無の境地」に至ることの、大切さが重要視されていますが、こういう人に自分がなりたい、という真民の想いが、強く現れている詩ですね。
同じ74歳の時に書いた、「大事なこと」という詩の中で、「真の人間になろうとするためには、知ることより、忘れることの方が大事だ。」という言葉が出てきます。
また、翌年の75歳の時に書いた「身軽」という詩の中では、「何が一番いいか、身軽なのが一番いい。」と言っています。
これらは、やはり一遍上人の生き方に影響を受けた詩であると言えます。
砥部町立坂村真民記念館
館長 西澤孝一
※ポスター画像をクリックしていただくと
詳細が確認できます。
開館9周年記念特別展
海野阿育と坂村真民の世界
〜版画かれんだあに描かれた真民詩〜
2021年2月20日(土)〜2021年8月29日(日)
坂村真民記念館

ー坂村真民ー
1909(明治42)年、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昻(たかし)。
八歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後、朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師に。
終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら詩を作り続けた。毎月詩誌「詩国」を発行し無償で全国の読者に届ける。
58歳の時、砥部町に定住し、65歳で退職後は詩作に専念。
2006(平成18)年、97歳で永眠。
一遍上人を敬愛し、「タンポポ堂」と称する居を構え、毎日午前零時に起床。夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのが日課であった。
飾らない素朴な言葉で人生を歌い続け、その詩の数々は、多くの人に優しさや勇気、そして希望を与え続けている。さらに、慈しみの心にあふれた人柄や生き方は、老若男女幅広い層から支持されている。
(写真は90歳のときのものです)
ー坂村真民記念館 館長 西澤 孝一(にしざわ こういち)ー
(プロフィール)
愛媛県庁職員退職後、坂村真民記念館開館から館長に就任。真民の家族として最後を看取った。
(著 書)
「天を仰いでー坂村真民箴言詩集」(編集)(2019年、致知出版社)
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」(2017年、致知出版社)
「自分の道をまっすぐゆこう」(監修)(2012年、PHP研究所)
坂村真民記念館: 愛媛県伊予郡砥部町大南705
(TEL:089-969-3643)
(FAX:089-969-3644)
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