<ホームページに届いた質問>
私は一昨年父を看取りました。肺の病気がわかり、入院後すぐ医師から急変時に延命治療をするか何もしないかの選択をするよう言われました。
普段から父は機械を使ってまで生きるつもりはないが、できるだけのことはしてほしいと言いました。家族で話し合い、その旨を医師に伝えて、看取りの方向になりました。
しかし実際父の臨終は、看取りというより放置でした。
心拍数がどんどん下がり、アラームがなり続けても、医師はおろか看護師さえ来ません。ナースステーションに行って伝えても誰一人来ませんでした。結局心拍数がゼロになり、家族がナースコールを押すと、医師とナースが来て臨終を告げられました。
看取りとはいってもアラーム音がなり続けても医療従事者が誰も来ない状況には呆れました。
二度とその病院にはかかりたくないと思いました。
看取りって何なんでしょうか。父は、家族が集まって見送ったけど、何ヶ月も入院していたのに、残念です。父は、ここのスタッフにとって迷惑な患者だったのかなぁとさえ思いました。
父はあの世で今何を思っているのかなと思います。
(50代女性)
<質問へのお答え>
松山べテル病院 中橋 恒
ご質問ありがとうございます。質問を読ませていただき心が痛むとともに大変申し訳ない思いでいっぱいです。私は元々外科医として仕事をしていましたが、なんとかして病気を治したい一心で治療に臨んでも、治らない病気で患者様がご自分の命の終わりを否応なく迎えなければならない終末期の現場で、自分がどれだけ無力であったかを思い知らされた体験が緩和ケアという世界に身を置くきっかけであったように思います。もしかしたら、娘さんと同じような思いでその当時外科医の自分に何とかならないのか、なんとかならなかったのかと問い続けていたように思います。
そんな思いの中で緩和ケアという世界を知り、人それぞれの命の終わりは宿命としか言いようがありませんが、緩和ケアの考え方でその人の命の終わりに何かお手伝いができないかとの思いから、緩和ケアを専門とする世界に身を置くことにしました。それから20年が経ち多くの方の旅立ちの現場に関わらせていただきました。一人として同じ生き様、死に様はなかったように思います。残される皆さんへ「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉をかけながら旅立たれる人もいらっしゃれば、最後まで生きることに一生懸命に生き抜かれた方もいらっしゃいました。
その中で感じた二つの事があります。皆さん全員が“死にたくない、もっと生きていたい”という思いで過ごしていらっしゃるという事です。もう一つは、人は旅立ちが近くなると“もうそろそろだな”と確実に感じていらっしゃるという事です。
私が関わっている現場は緩和ケアとして皆さんに良く知られている所でもあり、治療をしてくださっている先生から緩和ケアを勧められ当院へ来られる皆さんから感じる率直な印象は、「あそこの病院へは行きたくない、自分はもう終わりってことですか?」というものです。「失礼だと思いますが、ここへは来たくなかったです」とはっきりとおっしゃる方もいらっしゃいました。最初にこの言葉をかけられた時はショックで、緩和ケアでやっていけるのか自信を無くすほどの言葉でした。しかしながら、多くの患者様との関わりの中で、「死にたくない、もっと生きていたい」という思いは実に当たり前な気持ちであることに気づき、私どもの施設に来たくないというその言葉を素直に受け止めることができるようになりました。「緩和ケアなんて受けたくない」という思いを素直に受け止めた上で、「でも、緩和ケアを受けてこんなに穏やかに旅立ててよかった、本人の思う通りの人生の最後だった」と残された家族の皆さんに思っていただくことがとても大切なことがではないかと思うようになりました。緩和ケアの在り方を知っていただいていたら、別の過ごし方の選択ができたのではないかと思うのです。
緩和ケアをもっと多くの皆さんに知っていただきたいと思うもう一つの在り方は、患者様はご自身の旅立ちの時期を察知されているということです。時に患者様からご家族へ旅立ちを予感させるような言葉を言われることがあり、ご家族の方があまりに突然の言葉のためにとっさに「そんな縁起でもないことを言わないで」と会話を遮ってしまったという話を聞くことがあります。大切な方が近々旅立たなければならないことを受け容れるのはご本人もそうですが、家族の皆さんにとってもつらいことだと思います。
患者様は自分の行く末を辛さの中で察知され、残される者へ精いっぱいの力を振り絞って言葉を届けようとされたのだと思います。この時をとっさの思いで受け止めるのを拒まれると、旅立つ人の思いを形として残すチャンスを失ってしまうことになってしまうように思えるのです。家族の皆さんも大切な方とのお別れの準備が必要だと思います。辛いが故に、であればこそ残された時間をどの様な時にしてゆけばよいかと考えて行く時間でもあります。
緩和ケアは終末期だけではなく病気が分かった時から受けることが勧められていますが、メールのお話にもありましたように終末期におけるケアの在り方はまだまだ十分に整備されていないのが現状です。どこででも配慮の行き届いたケアが受けられるほど終末期ケアはまだまだ浸透していないのが現状です。大切な方やご自身が先行きの短い状況になられた時にどのようなお世話を受けるのが良いか、治療を受けておられる病院の相談窓口で勇気を出して思いをぶつけ話し合っていただきたいと思います。
緩和ケアについてもっと知識を深めていただき、うまく利用できる方法を是非皆さんと一緒に考えて行きましょう。お父様のことは大変お辛かったと思います。失礼なお話しかもしれませんが、今度ご自分が同じ身の上になった時にどうして行けばよいのかを、是非どこかで考える時間を作っていただくとありがたいです。あなたの生き方、生き終え方をお父様はきっと天国でご覧になっていると思います。遠い将来にあちらでお会いになられた時、よくやったねと褒めていただけるようなそんな生き方を考えて行くことがお父様への最大の親孝行だと思っています。
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