三人の子に(晴着)
お前たちが
嫁ぎゆく晴れの日まで
わたしは生きているだろうか
財産もない
故郷もない
家もない
不幸なお前たちに
せめては父のこころばかりの
晴着をきせてやりたいのだが
それまでわたしは
生きながらえているだろうか
梨恵子よ
佐代子よ
真美子よ
嫁ぎゆく日の夕べ
もしも裳裾ひく
くれないの雲が
たなびいていたら
貧しかった父の
せめてもの門出の
祝いものとして
晴れの衣を染めて
嫁いでいってくれないか
ー坂村真民「三人の子に(晴着)」
<解説>
この詩は、真民が42歳の時の詩ですね。
詩の中に出てくる3人の娘は、まだ、それぞれ7歳、5歳、3歳でした。
真民はこの頃、体が弱くて、自分ではとうてい娘たちが、成人して、結婚する頃までは生きておれないだろうと思っていました。
3人の娘たちが、結婚し、花嫁衣裳を着る姿を、見ることは出来ないと思っていました。そういう、父親の気持ちを表現したのが、この詩なんですね。娘を持つ父親の愛情あふれる詩ですね。
貧しい父親からの、せめてものはなむけに贈る、心を込めた詩ですね。
晴れの衣を、紅の雲で染めて、嫁いでいってくれないか、という最後のフレーズは、いつも涙がにじむところです。
坂村真民の、3人の娘たちへの思いが、哀しいまでに伝わってくる詩ではないでしょうか。
砥部町立坂村真民記念館
館長 西澤孝一
開館10周年記念特別展
砥部の砥石で己れを磨け
〜97年の生涯を生き切った坂村真民の生き方〜
2022年3月5日(土)〜2022年8月28日(日)
坂村真民記念館
ー坂村真民ー
1909(明治42)年、熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれ。本名、昻(たかし)。
八歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後、朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師に。
終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら詩を作り続けた。毎月詩誌「詩国」を発行し無償で全国の読者に届ける。
58歳の時、砥部町に定住し、65歳で退職後は詩作に専念。
2006(平成18)年、97歳で永眠。
一遍上人を敬愛し、「タンポポ堂」と称する居を構え、毎日午前零時に起床。夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのが日課であった。
飾らない素朴な言葉で人生を歌い続け、その詩の数々は、多くの人に優しさや勇気、そして希望を与え続けている。さらに、慈しみの心にあふれた人柄や生き方は、老若男女幅広い層から支持されている。
(写真は90歳のときのものです)
ー坂村真民記念館 館長 西澤 孝一(にしざわ こういち)ー
(プロフィール)
愛媛県庁職員退職後、坂村真民記念館開館から館長に就任。真民の家族として最後を看取った。
(著 書)
「天を仰いでー坂村真民箴言詩集」(編集)(2019年、致知出版社)
「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」(2017年、致知出版社)
「自分の道をまっすぐゆこう」(監修)(2012年、PHP研究所)
坂村真民記念館: 愛媛県伊予郡砥部町大南705
(TEL:089-969-3643)
(FAX:089-969-3644)
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